本「M/D マイルス・デューイ・デイビスⅢ世研究」上下③・終・

最後のエピソード。康芳夫さんという人の話しだ。かつて、あの「猪木×アリ」戦のプロモーターをしたのだという。この前は、モダンジャズのブームの頃、ジャズ・ミュージシャンの呼び屋をやっていたそうで、アート・ブレイキーソニー・ロリンズを招聘した。そのような大仕事のうち、「マイルス・デイビス五重奏団来日」があった。1960年代の頃だと推測される。ライブ盤になった「ライブ・イン・トーキョー」ではない。二度目の来日のことだ。しかし、この来日は幻となった。ドラムスのトニー・ウィリアムス覚醒剤を所持していて入国不許可となったせいだ。問題になったのはギャラで、当時の額で○千万円を、マイルスは支払えと命じてきた。電話で直接だそうだ。「ギャラを払え。オレのせいで公演が中止になったんじゃない。オレが日本政府に拒否されたんだ」。この言い分を正当と判断した康さんはスイスの銀行に入金、確認したマイルスは「よし。でも、この金を受け取るわけにはいかない。オレたちは演奏しなかったんだからな」…。かくして、スイス銀行には、いまだマイルスのギャラが凍結されたままだという。「いやぁどうなっちゃうんだろうねぇあの金。マイルスも死んじゃってさ。もう忘れてたと思うし。一生あそこで凍結されっぱなしじゃないの」と庚さんは当時を振り返る。マイルスと直に関わった日本人は多いらしく、エピソードを集めた一冊の本に為り得ると菊地さんは話すが、こういう人たちは実に生き生きと話すのだそうだ。これもマイルス・マジックだと説明していた。トニーは、1980年代か、アメリカの白人ギタリスト、ロニー・モントローズ(数年前に故人)を引き連れて来日し、野外フェスのライブ(田園コロシアム)を行なう。うち一曲が収録されたアルバムをリリースしている(たしか「ジョイ何とか」)。
Tony Williams Lifetime Trio - Emergency! (1969年、マイルスのグループを退団したトニー・ウィリアムス。直後にこのライブ盤2枚組みを発表。スゴい暴れっぷりなドラム!天晴れだ。847)::: https://www.youtube.com/watch?v=KLWoP2KKZ38