石坂 敬一さん死去

2月24日のベストヒットUSAの特集では、1980年代に最もアルバムが売れたアーティスト3者が紹介された。この年代はアルバムがよーく売れたらしい。これらビデオが流れた3者は、ブルース・スプリングスティーンのborn in the usa、AC/DCのback in black、デフ・レパードのhysteriaであった。各者について克也さんの重量感ある解説が披露され、俺は楽しく拝聴。なんと番組後半では、レパードのフィル・コリンがゲスト出演で驚いた。克也さんは凄いなぁ。番組が終わりに近付くと毎週だが克也さんが画面左下の小さい枠で現われコメントする。「80年代の売れたアルバムはハードロックが多くを占めた。去年の暮れに、日本音楽業界を裏方として下支えをしていた石坂敬一さんが亡くなった。この人に"ジョーディという良いバンドがいるから聴いてよ″と言われ、目の前で聴いたことがあるが、このときのヴォーカルが先ほど紹介したAC/DCのブライアン・ジョンゾンなんですよ。69歳になるが、いまは病気で床に伏しているそうです。こうなると80年代も遠くなったなぁという気がするが、みなさん、どうですか?…これから先またこういう良いバンドが出るんでしょうか…」と今回特集を締め括った。石坂敬一さん…、俺はすれ違ったことがある。学校を卒業して初めてバイトしたのは、東芝EMIレコードだった。俺はその自社ビルの階段で下へ降りるときに、石坂さんは上がってきたのだ。すれ違い距離は30センチ未満だ。なんとなくエライ方なのは薄々とわかっていたが、この時点ではその凄い実績がある人だとの認識は皆無である。俺はシャイだが挨拶はした。シャイだから挨拶しなくていいなんてのは社会ではご法度なのは自分にも言い聞かせていた。なんか必死で挨拶した記憶がある。なんと言って挨拶したか…。「お疲れ様です」だったか…。石坂さんは少し頷くような動作をした。目と目は合ってない。なんか小恥ずかしい。暫らくして、5つ歳上の新入社員から「知らないのかっ、あの人は凄いんだぞ。みんな、石坂さんに憧れてこの業界に入ってくるんだよ」と教えてもらった。いや、ここのバイトに入る前の専門学生のとき、プログレシッヴロックのライナーノーツで石坂敬一なる文字を目にしていたかどうだったか。またこの当時、テレビで石坂さんと忌野清志郎さんが二人で映っていたのを見た。タイマーズの一件で、石坂さんを前にして清志郎さんが「はい」と反省している映像だった。「え?清志郎さんが″はい″って受け入れるとは…」と俺は一瞬我を失った。このとき「石坂さんて凄い力のある人なんだ」と知らされた記憶がある。なんとなくだが、大人に対して初めて恐れを抱いた人、かもしれない。
渡辺真知子 SEAGULL in " TAHIBALI " LIVE(凄い映像が残されているもんですねぇ。バイタリティあるなぁやっぱり。1382)::: https://www.youtube.com/watch?v=i5hFsoF98fs