NHK「あの人に会いたい」−27

握り返さなかった僕の手を、矢沢さんは1秒半しない内に″パッ″と離した。そして気付けば、「よろしく」と隣りとの握手に移行していた。手を握られて僕は「うっ」と我が心を奪われ、何が起きているか把握するに至らない中、握り返すという意思や行為を思い付くにもヘッタクリにも及ばなかった。そしてその「時と場所」の見当識を失っている内、両者の手が離れ離れと進展してしまい、悔いる顛末を迎えてしまったわけである。矢沢さんが近付いて来られて発生したドキドキ感は握手寸前の段階に直面するも、真っ白な頭の中は回復に向かわず、裏目裏目の、僕の気弱性の躊躇いと緊張感は引きずられたまま、「よろしく」と口に出した時の矢沢さんの目付きが何か獲物を狙うが如く鋭い眼光というように僕の目に映り完全に怖じ気付いた。この時点でその失敗の序幕が切って落とされていたと云えよう。先述のように、差し出された手に対して自らの顔を意識的に下へ向けた動作はその通り運んだのは事実だが、その動作においてもっと自らの内奥に迫った真実を追求すれば、目と目が合ったその瞬間に僕は恐れを成して視線を逸らすべくつい下を向いてしまった、と云う方がしっくり来るのである。