NHK「あの人に会いたい」−7

前日にヤフーの電子番組表ラジオ欄で「オールナイトニッポン放送記念スペシャル」があるのに気付いた。高校生、専門学校生をしていた当時この番組をちょっとかじっていた。熱心なファンではない。どのDJたちの話にもゾッコンしなかった、と云うより出来なった。DJたちの笑い話しを理解出来ず付いて行けなかったから面白くなかったのだ。そういう才能が乏しかったのを自覚し結構ショックになることが多かった。しかし、なぜ笑えるのか「わかるようになりたい」と気持ちも一方にあり、かじるのは日課となっていた。その先月放送のスペシャルだが、創成期〜’90年代の流れを追った内容で、当時の放送が抜粋されてその録音が電波に乗った。その選ばれた中には、言葉遣いに時代を感じる最初期のDJたちのもの(しかし緊張感があり熱かった。また観客を用意した放送ではその若者たちが大変盛り上がっていた!)、鶴光さんの放送時にタモリさんが入室してきて「〝なんちゃっておじさん″を取り上げたのは俺が最初だ」と主張している様子など様々で、そして思いも寄らなかった、中島さんの最終放送も含まれていた。番組を降りる経緯を話す場面が再現された。いやぁー聞くのは25年振りだ、凄いぬぇー。生きているとこんな事あるんですなぁ。僕は部屋の中でしばらく「へぇ〜」「へぇ〜」とニヤニヤ顔で繰り返すしか術がなかった。この偶然は凄い、よく再会出来たもんだ、天晴れ、脳が気持ち良い。世に云う幸福感ってのと同質の働きを僕の脳が指令を出している。中島さんといえば、今年3月、1年前以上に録画したテレビ番組に出演していたのを見た。故・筑紫哲也さんが「ニュース23」のゲスト出演者たちとやり取りしたものを集めた追悼番組である。これはずうっと未見状態が続き、漸く見たのだった。ゲスト出演者は、長嶋茂雄さん、宮崎駿さん、忌野清志郎さん、そして中島さんで各々に付き30分間である。清志郎さん(癌治療時)以外は'90年代中頃の放送である。中島さんが筑紫さんの質問に対してよくしゃべっていたのが「へぇ〜」と印象的だった。元気で力強く、優れた分析力をも披露してとても集中力の強い人と成りが画面からビンビンに伝わって来た。中島さんのアルバムは一枚も所有しておらず歌もよく知らないが、凄い人であるのはわかった。