NHK「あの人に会いたい」−3

23年ぐらい前か、あるとき、見知らぬ土地で時間潰しか何かしていたときだった。不意に目に付いた本屋へ入り、自分の関心からはまだ程遠かった邦楽の音楽雑誌を手に取りペラペラ捲った。すると、泉谷しげるさんのインタビュー記事が目に入った。「清志郎は社会問題に詳しいよ。よく勉強している」と言っていた部分が思い出される。清志郎さんが原発反対を歌い、FM東京が放送禁止の対象にした事件の釻80年代後期だ。このときから既に戦争を憎む母から突き付けられた遺品との衝撃の対面を経て、反戦を歌う決意を固めていたのだろうか。当時、社会テーマを歌い出したその姿こそ同じ日本人として目撃していたが、僕には、清志郎さんがどういう想いで社会テーマを取り上げたか探求するセンスは微塵も無かった。清志郎さんはただ「戦争は悪いと思っているんだな。それを訴えたいんだな。泉谷しげるが言ってた、社会のことを勉強して、今までと違うことを始めたんだ」程度で想像力は停止していた。清志郎さんがこの頃から母の遺品を切っ掛けに反戦歌を展開したとなれば、さっきナレーターが言った「理不尽な苦痛は二度とあってはならない」、清志郎さんが言った「この世界中から戦争がなくなること。それが俺の夢です」という、当事者的立場の切迫感を呈していたことになる。遊びじゃない。僕にはそこまでの切迫感を意識するまでには及んでいなかった。