LP「RUSH/SIGNALS」(続)−12

この方は名前を安井さんと云う。ベンチャーズが好きだった。特に、ギターのノーキー・エドワーズが大好きだった。そのノーキーのギター・モデルに自分の好みを加味したデザインのギターを、渋谷のイシバシ楽器店に特注で依頼したほど。ある日、「まぁ、このギターは俺の女みたいなもんだよ」と冗談半分にお茶らけたあと、このギターを「持ってみる?」と言われたので「はい」と答えて持った。持った感触は何となくだが残っている気がする。ギターの輪郭もおぼろげながら覚えている。またベンチャーズの何かのアルバムのライナー・ノーツで、対談者として名を連ねていた。ご本人から直接見せて頂いた。確かに「安井:」とあった。そしてギターを教えてくれるという段に及んだ。ギター初心者には、ベンチャーズが一番入りやすいから一緒に弾こうというプランが組まれた。「いまタブ譜とかいうのあるでしょ。あれ見て弾くの、やめて欲しいんだよねぇ。コピーというのは、何回も聴き直して、その音を探して当てて欲しいんだよねぇ」と教わった。それが大変で疲れそうで嫌なわけなのだが、なんか言い返せなかった。当時俺はギターを所有していたものの、難しくて嫌気が刺し部屋の片隅で埃がかぶっていた。一回ぐらい、安井さんのマンションで練習させてもらった。しかしその後、あまりやる気がない俺を悟ったのか、続かなかった。今思えば、勿体無い。続けていれば、今頃ギターが上手で生活の一部にさえなっていたやもしれない。安井さんは「俺は個人主義だから。世の中の人は『個人主義』というのを取り違えてるんだよねぇ」と言っていたのが印象的だ。当時真意がピーンと来なかったが、多分「人生を生きていくのに他人なぞ構っていられない、自分のことだけで精一杯」ということだったんじゃないだろうか。「イタリアへ行く」と言って突然イタリアへ行った行動的な人で、正社員で働いていたが自己主張は強かったようだ。また「スーツを着るのが嫌い」や「電話を持つのは嫌だ」といった安井哲学を披露してくれた。しばらくして、電話は、流石に会社からの要請で自宅に取り付けたようである。その後は東京での生活は辞め、故郷の利尻島へ帰ったと母から伝い聞いた。俺の母と同じ勤務先の方だった。母が「息子はロックばかり聴いている」と話し、俺にご興味を持って下さったのだった。初めてお会いしてから、もうすぐ25年の歳月が経とうとしている。