小田急線上部利用シンポジウムー2

ウィキペディアで湧井氏を、いや、親しみを込めて湧井さんを見ると、要するに東京農業大学卒業、造園家で大学教授である。基調講演は「緑」に重点を置いた内容がよく耳についたが成るほど合点がいった。先述の、僕と湧井さんが一致するというのはこの「緑」という点。僕の云う「緑」とは、盆栽やら公園規模の植木で間に合わせることではない。そんなスケールの小さいことでどうする。実にクダラナイ。「緑」とは鬱蒼とした生い茂ったものを云う。林だな。以前「ブラタモリ」で見たのだが、渋谷区にある明治神宮の林をイメージして欲しい。ナレーションを聞いて「へぇ〜」だった。明治神宮は、明治の年に作られた。驚きなのは、100年後を目処に完成とする設計だったことである。100年後に鬱蒼とした緑(=森林)の風景に生まれ変わっているという壮大な構想なわけだ。同番組内で、出来立てホヤホヤ当時の明治神宮の白黒写真が現れた。見渡す限り、一面に広がる土の平野に、人の高さ程の苗木が規則正しく植え付けられていた。葉っぱなぞ無く緑とは無縁な風景。そんなゼロの状態から今現在の立派な緑の風景へと成長を遂げたのだ。これは素晴らしい。風景も去ることながら、壮大な時間の流れにも、誰だって感慨に耽られるというもの。こういう瞬間は、心洗われるよな。こう書くと、なんか自然を守る会の会長みたいだが、いや、ちがう、会長じゃありません、普通の区民・都民・市民。小田急線上部は、要するに、これと同じ風景になればいいのだ。僕はこの小田急線2.2キロ区間の沿線住民の人を一人知っている。数年前、その方のお宅で集まりがあった。あるとき小田急線の地下化で跡地となる話しが出て、僕は「公園とかいったナンセンスで不必要な施設は作らず、森林だけを設けて、そこに散歩道を同じ2.2キロ作るだけで十分。他に何も要らないと思う」と意見を述べると、「それは困る。周辺の人は大変。その森林の落ち葉やらが我が家に舞い込んできたら自分で掃かなければならないし、夏の季節は蚊が大量発生して迷惑」との反論を頂戴した。「そんなことでダメ出しかよ」と結構ショックだったが、まっ、こうした当事者の心配する気持ちまでは想いが及んでいなかったのも事実。確かに嫌だ。それは認める。外野だから好き放題言えるとの指摘をされても即座に言い返せないのも事実。そのとき言い返さなかったが「何か防止する手だては探せば必ずあるはず」と心中及んでいた。未だ解答は見出せてない、というか今の今まで考え続けてきたわけじゃない。この方の意見は、その立場や環境によって人それぞれ内側に抱えているものがあるのだと思い知らされる。利害は厄介だ。この上部が「緑」で埋め尽くされるのはとても良い方向で正しいことに違いない。