LP「RUSH/SIGNALS」(続)−16

先月の3月下旬、吉祥寺の某オーディオ店へ出向いた。ここはB&Wの特集を組んでいた。数日前にメールで「こちらがレコードやCDを持参して試聴するのは可能ですか?」と尋ねた。HP上では試聴可能であると載っている。翌日「どうぞ、お持ち下さい」と返信が来た。月末で最後の平日の公休日。さっきまで、行く予定はこれっぽっちもを頭の中になかったが、スピーカー試聴の件がフッと思い出された。少考し、14時過ぎ「行こう」と決断、身支度を始める。メールは「いつや都合が良いときに行こう」というのんびり気分で送信したが「あとで良いや、と先延ばしは良くないよな」「課題は出来るなら早めの処理を」「time is moneyってか」などと面倒くさがり屋自ら暗示を掛けたのと、暇人であったのが功を奏したのか、急遽アドリブで赴く結果となった。段々スリル感を求める気分も生じてきた。電車でわざわざ試聴に行く、そういう角度で構えると足は遠のく気がする。目的面より手段面に重点を置くが如き思考が進んでいる。脳の筋肉はなぜ、目的という自然発生した素晴らしい直感をいとも簡単にそっちのけに片付ける動きを働くのか、不思議と云えば不思議である。また「わざわざ」と考えると、その思考自体が無駄な重りをぶら下げた感じで、疲労モードが纏わり付いた感に包まれる。不要な疲労を買ったようなものだ。体の筋肉は柔らかいのが病気にも至らず健康に良いと云うが、脳についても同じことが云えるに違いない。理由はまだ構築してないが相当正解である気がする。脳自体も筋肉が柔らかくなるような使い方が正常さを保つのには持って来い、というイメージである。気持ちが楽でいられるのなら、そういう使い方を選ぶのに越した事はない。ま、それはそれとして、今回は迅速に吉祥寺へ行動に移したことはちょっと偉い、我ながら褒めてあげよう。さぁ、何を聴くか選ばなければならない。好みのモノを適当に割合速断で見繕いLPとCDを紙袋に入れる。時間を掛けてたらキリがない。LPは5枚、CDは1枚だった。