有り難き個人発信ネット情報

ある商品をこの1年近くゲットすべく狙いを定めて来たが、断念した。その商品をネット検索で試みると、あるページ上で"今回関わった会社より以前出した別会社の物の方がお薦め出来る"という事でその比較対象の証拠写真も含めて詳細な報告がなされていたのを目にしたからだ。それはなかなか疑いを得ない的確さを伴なった指摘が提示されており、このような判断材料を提供してくれるのは有り難い、というのが第一感だった。何はともあれ咄嗟に感謝の念を持ち、この提供者には清き厳しき目を持つ正義感溢れる人物像を描いた。そして全く何一つ否定することなく歓迎すべき行為としてブログに発表した。実は書き記している最中にその発表には自らどこかしら違和感を覚えてはいたものの、その情報に救われたような安堵感も手伝ってそれを前面に文面を綴った。さらにその商品自体に悪意が潜んでいる可能性が見て取れた点も浮かび上がってきた。が、翌日ある事柄をきっかけにその結論で終止してよいものかどうか確認する機会を得た。その有り難く感じた情報に触れてかなり信用を託せる材料との判断に辿り着きその商品に見切りを付けた自分は、その発表によって他に被害を被る対象を度外視した、もっと言えば実質的に営業妨害の加担を演じたのではあるまいか、自ら些か興奮を覚えて勇み足気味にブログ上でペンを走らせた感を認められるのそのわけは、本来尽くすべき考慮を尽くしていない点が残っているためではないかという悩みのタネを生んだのだ。つまり、その情報のお蔭で買って損したといった裏切りから免れ助かった、そしてその情報発信者に感謝の示すに止まるのはこのネット上では不公平な行為に値するのでないかと問いが迫ってきたわけだ。当初は先述の悪意云々と書いた通り自分側に落ち度があるとは感じていなかった。それ故、その考えのルーツがしっかりしたものであれば何も恥じることはないし臆することでもないと構えたのだ。しかし現在こうして前回書いた、その営業妨害と成り得る批判の対象へと発展しそうな素材事項は削除を済ませている。とりあえず、これからブログを書くにあたり、自分の中に間違いないと確固たる見極めをしっかり備えて臨む路線はそのまま維持、今回頭の中で少し格闘めいた演劇を繰り広げて思い至ったのは、自分自身何かに恐がって萎縮しない事。怖気付いて書いたのでは楽しくともなんともないではないか!伸び伸びとした気持ちで書かなければ!あー、ちょれにちてもネットってむずかちいにゃぁー、ネット上のルールっちゅうものに対して瞬時に臨機応変に対応出来る心が己に備わってないといけない、そもそもそのルールがややこしそうだ。