映画「冷たい熱帯魚」-3

いくら罵倒されようと黙るしかなかった。主人公は殺人鬼男から、自身の胸の内を的確に衝かれ反論しようも無く口を開けなかった。他方、殺人鬼男が発する言葉や感情の吐露は、現代人が抱える鬱屈としたモノを代弁してもいた。例えば一つ挙げると「スッキリしたいからにはやるしかないんだよ」というセリフである。両者が向かい合って、まるで親(殺人鬼男)が子(主人公)に叱り付けるように進行していくシーンがある。主人公は反論出来ない、否、反論しようとしないのか、いずれにしても、己による解決の糸口を見出せないまま困り果てた挙句、自分の不甲斐無さに苛まれたのか、これまたまるで、どうしていいかわからない幼少の子供のように泣きじゃくってしまうのだった。その姿は、結婚をし子供も出来、父親という地位に立つものの、心はその年齢に伴なわず子供のままストップしている人生を映し出していた。僕は、ひとりの大人または父親としての振る舞いを果たせないこの男の姿のシーンが印象的だ。子を持つ父親ではない僕だが大人である自分自身に翻って他人事とは思えない切実さを覚える場面である。例えば、この歳まで大人になりたくないという念を持ち続けてきたとでも云うのだろうか...と自問にかまける僕がいる。さてこの「スッキリしたいからにはやるしかないんだよ」というセリフ、世間一般ではその代償として、スポーツ、芸術、ボランティア行為、賭け事や掃除洗濯を通じて、はたまたイジメ行為、野次馬、お節介、勘違いなお説教、お門違いの見解、上から目線の物言いを施すことで緩和している向きもあろう。ストレス解消、ストレス発散、ってやつだ。この映画では、その手段が殺人を犯すという許されるべからずのもの。決して同情心を誘うものではない。狂気に嵌まれば正気を保てる、正気を保つために狂気に嵌まるとでも云おうか、こんな独り善がりな考えでその気分を晴らす様は、自らの身を守るべくして働く本能がそうさせるというより精神を病んでいるせいだ。この悪の所業を繰り返す元を辿ると、それはかつての父親も狂気に陥り殺人を犯すに至りやがて共犯させられたという告白シーンにあるように、代々連鎖なのであった。
本日チューン:Kiss - I Was Made For Loving You (1979年リリース。570)http://www.youtube.com/watch?v=fR_H-JGnQg0