映画「マラソン・マン」のローレンス・オリビエ

仕事の合間、品川図書館で借りて観た。1975年度作品?。この映画は2回目。17,8年ぶりか。ダスティン・ホフマンがローレンス・オリビエに歯を削られる拷問シーンしか覚えておらず、どういう物語か全くわからない。主役はホフマンで悪役をオリビエが務める。そのシーンだが今回改めて観てホフマンがどえらく大声を上げ痛がる演技をしていたのに驚かされた。一瞬の大声とはいえ迫力があった。凄い集中力だ。拷問されるという人間の極限状態を演技出来る俳優って、アメリカ映画界ではどれくらいいるのだろう。このように声を上げられる俳優は片手の数ほどしかいないのではないか、それ程迫真の演技だ。この物語のことはさて置き、僕が非常に印象的だったのはローレンス・オリビエの演技だ。ロイ・シャイダーフレンチ・コネクションジョーズで主役級:これまた好きな俳優)から頬をピンタされ地に倒れる彼の演技は、年老いて力の弱まった人間の哀れさといったものが滲み出ていた。白黒映画時代「嵐が丘」で主役を演じた若き筋肉隆々の美男子だったオリビエの年老いた姿は、体格はあるがあのときの力強い出で立ちは微塵も感じられない。人間の老いは仕方ないとはいえ哀しい。いや、老いに対しては肯定的に考えたい。映画の中のオリビエの役柄は、第2次大戦を経験しておりナチスに属していた。そして殺人を繰り返していた人物らしく、終戦後ときは流れて年老いてもなお金銭欲に目がくらむ老人という設定。そういう老人の前提が頭にあるから老いを哀しいとと思ったのかもしれない。オリビエは2度頬をピンタされる。最初は前述のシャイダーで次はシャイダーの弟役のホフマンである。ピンタされるオリビエはまた同じように、首がうな垂れ腰が砕けて崩れ落ち行くように倒れる。ここは一瞬だがほんとに見ものだ。そういえば、ピンタする側も同じピンタの仕方だった。力を込めることなく軽く手の甲で払うようにピンタしているのだ。それなのに大柄のオリビエは倒れる。年老いた肉体は若さに勝てない場面を2度見せられることになる。映画全体の中で、この2回のピンタシーンだけ妙に違和感を覚える。ここだけ演出が違う気がするのだ。ここは監督の演出ではなく、大俳優であるオリビエのオリジナルな演技がそのまま採用されたと推測される。オリビエの演技はこのあとも続くわけだが、これまた見もの。先ほどホフマンが人間の極限状態を表現したと言ったが、今度はオリビエの番である。その演技によって観る者はその人間の極限状態を頭の中で描くことを強制される。これは監督の意図するところだが彼は見事に演じ切った。どういう極限状態か?観てない人はチェックして欲しい。オリビエはこの映画で助演の演技賞を獲ったそうである。